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2012年2月のひとこと書評(掲示板に書いた文章の転載。評価は★5つが最高)

  2月のひとこと書評の再録です。掲示板そのままでは芸がないので、評点をつけます。★5つが最高。評価基準の詳細は、2001年11月書評のページをご参照ください。


(715) 『体制維新  大阪都』(著:橋下徹、堺屋太一)

P5 1990年代になると〜大阪(関西)で芽を出した新規産業も、誕生早々に東京に移るようになってしまいます。

〜阪神・淡路大震災を契機として東京在住になった文筆家や芸術家は少なくありません。

P6 本当に経済の基本と社会の本質を変えるには、担当する人を入れ替えたり(政権交代)、予算の組替や執行を改めたり(政策転換)するだけでは絶対にできません。その基にある仕組み=体制(システム)を変えなければならないのです。

P15 
日本は「安物の国」になりつつあるのです。

P16 〜国民年金の保険料を支払う人の比率は〜2010年には60%を割り込みました。〜大阪市では生活保護者が人口10万人当り約5600人、日本一高い比率になっています。
〜最近は青少年の学習研究意欲が一段と低下しているように思えます。
〜自殺者の数は〜1998年からは毎年3万人以上〜

P43 「ニア・イズ・ベター」にするには〜大きすぎず、小さすぎずの基礎自治体をまずつくり〜住民も、この街は〜われわれが変えられる、自分の街だという意識をもつようになる〜。

P55 公務員も能力や意欲がなければクビを切られるし降格もされる。

P68 〜大阪の低迷、「大阪問題」の根本は、教育にある〜

P72 文化行政は、あくまで場を提供するもの〜仮にクラシックにお金を出すにしても、特定の交響楽団にお金を出すのは違う〜。

P73 〜政治とはお金をつくり配分することが仕事〜

〜体制の変更とは、既得権益を剥がしていくこと〜これはもう戦争です。

P76 〜仕組みを変えるときは、一点突破の全面展開〜
〜カネがかからないならまずやってみる。本当に不都合なら修正する。こういう姿勢でないと、日本は何も変わらない。

P88 自分の考えることを進めてくれる政党を応援して民意を注ぐ。〜このような方法以外には体制は変わりません。話し合いだけでは体制は絶対に変わりません。

P91 究極的には選挙の勝利こそが改革のエネルギー

P97 二年協議を続けましたが、結局、水道一つも統合できない。協議だけでは、大阪全体の二重行政、二元行政が解消するはずがない

P111 被災者支援は、ダメージを受けていない自治体に任せる。復興については、被災地の自治体に権限や財源を渡して任せる。〜国は、原発事故の対応とかエネルギー政策とか、国レベルの問題に集中する。〜
 トップに必要なのは組織マネジメント。組織が機能するように仕事の割り振り、役割分担を決めることです。

P113 組織マネジメントの根幹は意思決定システムの確立です。

P115 政治家の役目は、一定の方向性を示し、その実現に必要な人やお金の配置をし、組織が機能する環境を整え、組織が動かなくなる障害を取り除くといった組織マネジメントをすることです。

P117 僕は知事として、いかなるときに前面に出るべきなのか。どの部分を行政組織に任せるべきか。その線引きに日々神経を尖らせてきました。

P119 〜国の制度との整合性は取れなくても、あるいは他の府民と比べると不公平になるかもしれないけど、必要ならば方針を転換する、と判断を下すのが政治家の役割です。

P127 直感、勘、府民感覚では、僕の方が上だろうということを見せるように努めてきた。〜ですから、この直感、勘、府民感覚、勝負で賞味期限が切れれば、政治家としては終了です。〜僕もかなり賞味期限に近づきつつあり〜。

P137 相手が見えない敵の場合には、まず一気に網をかける。そして危険性がないことが確認されてから徐々に網を外していく。

P139 現場がリスクを採って勝負をしたいというのであれば、そのリスクは引き受けることを心がけていました。

P140 社会が混乱することを恐れるよりも、死者が発生して取り返しがつかなくなることを恐れる。社会が混乱したことには、政治家が謝ればそれで済む。

P146 政治マネジメントで最も重要なのは、議論を尽くすべき問題は徹底的に議論し、既に判断に機が熟したとされるものは、思い切って判断を下すこと。

P151 今政治に何が必要か。〜この一票で大阪の将来が、日本の将来が変わるんだと感じてもらうこと。

P160 地域コミュニティの再生〜一番重要なことは〜自分たちの活動で自分たちの地域が変わったことを住民に実感してもらうこと、これに尽きる〜。

P252 今までの政治は〜リンゴを渡す話ばかりをしてきました。だから、リンゴはいずれ渡すけれども〜リンゴがなる仕組み、システムをしっかりと作り直すことが大切ですということを〜わかってもらえるかが勝負〜。

★★☆

 最新版の著作だけに、橋下市長の言動はびっくりするくらい、この本の内容からぶれていないことが分かる。橋下市長に関心のある人間にとっては必読といえよう。

 



(716) 『政治家の殺し方』(著:中田宏。幻冬舎)

P89 即日開票と翌日開票の差、それは1億2800万円だった。

P98 全庁放送で直接語る、庁内報で知らせる、私からのメールを直接送るなどのツールを活用し、定期的に職場を訪ねるようにもした。
 加えて重要なのは、市の取締役ともいえる局長がそれぞれの局内で伝えることだ。

P108 横浜市の改革でいえば、朝礼をすることで情報の共有が可能となった〜

P127 市役所のコスト節約をした挙句、個人で裁判をしなければならないとしたら、いったいだれが市長を引き受けるだろうか。

P132 特殊勤務手当の見直しによって、年間29億円以上もの経費を削減することができた。

P152 丸く収めるような言葉を発して逃げたくはないのだ。そもそも自分の思考をはっきり言葉にするのが、政治家の務め〜

P163 自分が政治家になって痛感するのは、「就職活動としての政治」が多すぎる〜

P187 〜家族同士であっても、あいさつすることは最低限のマナー〜

P192 いま、どうするべきか。〜それは、こうした我が国の現状を正確に国民に伝え、いかなる国をめざすのかという目標を明らかにし、その目標に向かって政策を遂行することだ。

P200 必要なのは、課題提起(イニシアチブ)と最終決定(ディシジョン)は政治家、選択肢提供(オプション)と執行管理(オペレーティング)は役人の領域という、互いの役割を果たし合うこと〜。


★★★

 「役割分担」という点など、橋下市長との共通点が目立つ。



(717) 『官僚を国民のために働かせる法』(著:古賀茂明。光文社新書)

P6 私はもともと幹部官僚に身分保障は必要ないというのが持論ですから、辞めさせられること自体は構いません。しかし、クビにすることが大臣の意志でなく、事務方が大臣の名前を使ってできるとなったら、官僚主導をますます強めることになる。

P10 官僚たちの多くは「国民のために働く」という本分を忘れて〜自らの生活保障〜ばかりに心を奪われるようになってしまっています。

P27 「日本経済のためになる、国にとって利益になる、そう自分が信じることをする」

P41 官僚にはミスを認める潔さも、人任せにしない責任感も、問題を解決する能力も〜何より、年金を頼みにしている国民のことを考える優しさがなかった〜。

P65 「君たちはふつうの人では困るんだよ。世のため、人のために働く意識が特別に要求される職業についているんだよ」ということを叩き込む。

P78 ボランタリーな、本人の気持ちしだいの仕組みであって「がんばらない人はこうやってがんばらせる」という罰則を含めた規律が抜け落ちている〜。

P91 信賞必罰で「自分の失敗を認めて、きちんと責任を取らせる」仕組みが必要〜。

P135 野田内閣の特徴として、混乱や対立を避ける〜これはあらゆる問題を先延ばしにするということ〜
 先延ばしというのは、決断できないということの裏返し〜。

P148 行政は、「主」たる政治家が「従」たる官僚を使って、国の利益と国民の幸せのために政策を策定・実行していくプロセス〜。
〜政治主導の本来あるべき姿とは〜「政治家は〜広い視野から政策の方向性を決定する。
〜官僚は、〜状況に適した具体的な政策の選択肢を複数政治家に提案する。
 政治家は〜官僚とは異なる考えを持つほかの専門家や国民の声を聞きながら、総合的に判断して結論を出す」。

P153 政治家としてやるべきは、ムダを探すことではなく、優先順位をはっきりさせること〜。

P159 〜堺屋太一氏が〜「本来、官僚はタクシーの運転手で、行き先を決めるのは政治家のはず〜菅さんはいきなり『オレが運転する』と言い出し〜技量がないから、大事故を起こした。こりゃいかんと官僚にハンドルを握らせたら、これが定期バスの運転手〜」

P162 〜日付を空欄にした辞表を出してもらって〜指示を、「いつまでに」と期限を明確にしたカタチで出し〜できなければ辞表を受理する。

P169 〜有能なスタッフを持つことと同じくらい重要なのが、最終的な責任を総理自身が負うことを明確にしてスタッフに「任せる」ということ〜。

P175 〜日本再生のためには〜新たに創出しなければならない。〜まさに「平成維新」の時代〜。

P176 旧来の制度・慣習は全部、一度にガラガラポンするしかありません。

P177 〜幹部〜になるときに、いったん退職してもらう〜。

P179 〜「Jリーグ方式」。〜毎年、三割を自動的に降格またはクビにする仕組みを取り入れる〜。

P185 〜幹部に目標を明確化させること〜。

P186 〜目標管理とセットで、「360度評価」も導入すべき〜。〜同僚や部下も評価する〜。

P198 そもそも、公務員は国・国民のために働くことが大前提であって〜その使命を果たさなければクビにして当たり前。

P201 欧米の役所の場合〜「とにかく働いた分は絶対に払わなければならない」というルールがあるので、お金がなくなったら人を減らすか、窓口を閉めるしかない〜。

P207 〜「悪い」の定義を〜「国民に疑惑を持たれる」とすると、言い逃れがしにくくなります。

P229 〜政治が年寄り向けの政策に偏重していくことが危惧される〜。〜そういった政治の偏重をなくすためには今後、「ゼロ歳児から選挙権を与える」ことを検討する〜。

P230 〜官僚たちが「自分は公僕である」という意識を取り戻すことが何よりも大事〜。
〜公僕とは〜いざという時に自分の利益ではなく、公の利益を優先できる、そのために自己犠牲を払える、そういう尊い心の持ち主だという意味〜。

★★★

 「白紙辞表」を区長公募の際に導入するのでは?という気がする。男たるもの常に辞表を胸に・・・という心意気はあるが、それを強制されるのは私には耐えられないが。

 


(718) 『楊令伝(五)猩紅の章』(著:北方謙三。集英社文庫)

P40 「〜燕国というのは、束の間の夢であった。美しい夢だったと思う。美しいものは穢される、ということも知った」

P79 「〜梁山泊軍に加えてくれ、とひと言、申し出ればよかった。それを迎えられるまで待とうとした。いまも、なにかを待っている〜」

P86 「自分で作るのではなく、自分で望むのでもなく、意味というものは、自然に湧き出てくる、と私は思います。人は、意味が湧き出ないところで生きるべきではない、と私は自分に言い聞かせています。〜」

P112 「大人びたことを、言い過ぎる子供に、育ててしまったのかもしれません。〜」
「いいさ。敗北を噛みしめている時に生まれ、志を捨てずに再び立とうとしている時、育ってきたのだ。いろんな人間の思いを、知らず、背負っているのかもしれん」

P143 「あの女を相手に、九回できた。それは、ある意味、すごいことかもしれん」
「ひと晩だという約束だったのに、あの女は十度目は拒みました」
「まあいい。今度から、約束の金より少し多く払ってやれ。そういうものだぞ」
「そうなのですか。ならば、はじめからその額を言えばいいのに」
 史進は、それ以上話す気をなくした。

P160 なにをどう騙すか、実は呉用は細かく考えてはいなかった。以前なら、何十通りもの想定をし、くり返し検証したはずだ。
 戦という、生きものを相手にしている。ようやく、そう思えるようになった。

P164 「では、おまえの懐に入っているものを、ここで燃やせ」
 懐に入っているのは、さまざまな書きこみをした地図だけだった。
「これを燃やせば、戦ができなくなります、方臘様」
「俺は、紙一枚で、できるかできないか決まってしまうような、そんな戦をしていたのか、趙仁?」

P282 この戦場で、総大将が命を投げ出すなどとは、およそ考えられないことだ。その考えられないことをして、相手を立ち竦ませ、味方を奮い立たせる。
 方臘という男のことが、童貫は少しだけわかったような気がした。〜
「ふむ、いくらかは愉しめるかもしれん」

P299 「岳飛、どんな情報があろうと、それに基づいて決断したのは、私だ。それを自分以外の責任にするような軍人であったことはない、と私は思っている」

P347 「私に、また呉用として生きろ、と言っているのか?」
「そうです」
「二度までも、生き恥を晒させるのか」
「〜あなたは、死ぬことを許されない人なのだろう、と思います。生きて、死者の分まで苦しむ、という宿命を負っておられる。〜」

P368 「いま、慈しむ、とおっしゃいましたか?」
「言ったよ」
「あたしには、そのお言葉だけで充分です。〜」

★★★

 方臘死す。

 


(719) 『東京裁判  幻の弁護側資料』(編:小堀桂一郎。ちくま学芸文庫)

解説
P13 <平和に対する罪>が戦争犯罪であるなどという、そんな拡大解釈があり得ようとは誰も思わなかった。

P24 戦争での殺人は罪にならない。〜キッド提督の死が真珠湾攻撃による殺人罪になるならば、我々は広島に原爆を投下した者の名を挙げる事ができる。

P35 〜当時の日本政府の公的声明が全て却下というのは、この法廷が「日本の言分」には当初から耳を貸す姿勢がなかったことを物語る〜。

P42 事後立法ハ裁判ノ仮面ヲカブッタ私刑ニ他ナラナイ

P49 連合国側の人道に対する罪は一切不問に付し、唯日本人にのみ、神か仏に対してでもなければあり得ないほどの人道主義的完璧性を求め〜裁いたのがこの裁判であった。

P53 結果的に「騙し討ち」と映ずる原因となった開戦通告の遅延は陰謀でも計画的なものでもなく、現地大使館員の怠慢と不注意から来た過失にすぎない〜。

P60 日本は即時降伏するか又は勝目なくとも戦に訴ふるかの何れか一を選ばされた〜
「〜真珠湾の前夜国務省が日本政府に送った様な覚書を受け取ればモナコやルクセンブルグでも米国に対し米国に対し武器を取って立ったであろう」

一 清瀬一郎弁護人 冒頭陳述
P87 満州事変は1933年の塘沽(タンクー)協定で落着致して居ります。〜それ故塘沽協定より4年後に発生した支那事変が或る特定の人物が満州事変と同一の目的を以て故意に計画的に引き起こした事件であると推定することは不自然であります。

P91 〜治安維持法、これが自由主義を信条とする日本の三政党の連立の内閣で提案された〜

P100 日本の中央政府並びに統帥部は〜一般市民並びに敵人と雖も、武器を捨てた者には仁慈の念を以て接すべき旨を極めて強く希望した〜。

P105 盧溝橋に於ける事件発生の責任は我方には在りませぬ。〜事件を拡大して其の範囲及び限度を大きくしたものは中国側であります。

P111 阿片売買の収入が戦費に使用されざりし事を証明致します。

P118 〜米国は我国に対し種々なる圧迫と威嚇を加えて来たのであります。
 其の第一は経済的の圧迫でありました。
 其の第二は〜蒋介石政権への援助であります。
 其の第三は米国英国及び蘭印が中国と提携して我国の周辺に包囲的体形をとることであります。

二 高柳賢三弁護人 冒頭陳述
P145 刑事裁判において、裁判は確立した法規に則って行うべし〜。

P151 一度ある戦争が侵略戦争又は国際法もしくは条約を侵犯する戦争と宣告せられれば、〜たとえ何時、何処で、誰がかかる罪を犯したのであるか全然知らなくても、これについて責任を負わねばならぬこととなる〜。

P189 全ての文明国は契約違反もしくは民事上の不法行為を悉く犯罪とはしない。前者に対しては賠償が後者に対しては処罰が通常の救済方法である。〜条約を侵犯する「平和に対する罪」の処罰の如きは国際法に未知のことである。

P215 人間性に根本的な変革がもたらされないかぎり侵略者、又は国際法及び条約の侵犯者であると宣告されるのは、常に戦敗国である。戦敗国は遠い昔から、領土の喪失と賠償の支払によって処罰されている。

P225 自衛行為は国際法上唯一の制裁である一般の非難を受けるということのみである。

P227 〜検察側は特殊な軽罪たる共同謀議罪を以て国内法上最も重大なる罪を問い極刑を求めて居る〜。

P252 法によって責任が課せられなければ「事実上の責任」があると検察側は明白に云っている。

P256 確立した国際法のみに基づくべきことを裁判所にたいして強く要請する。法の認めない犯罪に対して事後法に基づき厳刑を科するがごとき正義にもとる処置〜三世紀にわたる期間において西洋の政治家や将軍がその行った東洋地域の侵略について処罰をうけたことが一回もなかった〜

三 ローガン弁護人 冒頭陳述
P265 ヒットラーは共同謀議全体の支配的人物でありました。日本の場合にはかかる人物は居りません。

四 徳富猪一郎 宣誓供述書
P285 〜日本国民は、平和を愛好するの点に於いては、世界の何れの民族又は国民に劣らない。〜世界侵略などと云う事は、夢にも考えなき事である。

P287 日本人は支那に対しては、到底及ばぬがせめて支那文化の模造でもして、日本の体面を保ちたいと云うのが精一杯〜。

★★☆

 高柳弁護人の主張は鋭いと思った。それ以外は編者が言っているほどの説得力は感じられなかった。もちろん、弁護側の当時の状況下でのハンデは考慮しきれていないが。

 


(720) 『満州事変  政策の形成過程』(著:緒方貞子。岩波現代文庫)

まえがきv 〜満州青年連盟は〜権益を失わないために、日本政府に強硬な対応を求め〜た。
 他方〜不況、特に農村の疲弊は、農村出身者が多勢を占める軍内部に革新運動を引き起こし
〜国内政治の改革と強硬な大陸政策の推進を求めた。

P2 〜軍が政治権力を獲得した過程を特色づけるものとしては、革新将校の急進性〜。
〜急進的革新将校が実現しようとした理想ないし目標は〜政党政治ならびにその基盤にあった資本主義体制に対抗して形成された〜。

P5 軍の内部的結束は〜崩壊し〜残されたのは「無責任の体制」のみであった。

P15 いわゆる「対華21カ条の要求」は、満州における権益を永久化しようとする日本の願望が具体化されたもの〜。

P17 大正10年(1921)から11年にかけて開かれたワシントン会議は〜米国はまさに国際条約を通じて日本が中国大陸へ発展するのを阻止しようと試みた〜。

P20 〜幣原の不干渉主義の狙いは、中国を政治的変動に左右されない輸出市場として確保すること〜幣原が満州よりむしろ中国本土との関係を重視したことは注目すべき〜。

P23 田中のいわゆる「強硬外交」は〜軍事手段の行使と権益の積極的な開発を中心として大陸発展を試みた〜。〜田中内閣のもとで日本は実に三度〜山東出兵を行った〜が、その究極の目標は、日本の権益の集中している満州に中国の内乱が及ぶのを阻止することにあった。

P40 大正7年(1918)〜米騒動として爆発〜大正13年(1924)〜普通選挙法は憲政会総裁加藤高明〜の連立内閣の下で成立した。〜注目すべきは〜彼らは大衆の圧力を〜恐れた〜に過ぎない。このことは、普通選挙法案を通過させた同じ議会の会期中に治安維持法案が成立したことにもっとも端的に示されている〜。

P64 〜桜会は〜昭和6年(1931)3月〜にクーデターを計画〜。
 未遂とはいえ、三月事件の影響するところはまことに大きかった。それは第一には陸軍部内の規律を破壊し、下克上傾向を助長したことである。〜桜会の急進派は〜ますます過激化して遂には2・26事件を引き起こすこととなった。第二には〜軍上層部がこれを最大限に利用して軍全体の政治権力の増大に努めるようになったことである。

P78 〜第1回満州青年議会(昭和3年5月)において提出されたのが、「民族協和」の原理に基いた「満蒙自治制」で〜三千万の住民が中国軍閥の圧政に苦しんでいるのを救うために〜住民の手による新国家を創設しようとするものであった。

P95 昭和6年(1931)8月〜参謀本部は〜いまだ張政権を相手とした外交交渉により事態の解決にあたり得ると判断していた。これに対し、関東軍はすでに満州の軍事占領のみが残れる手段であると信ずるに至っていた〜在満日本人は、軍人であると民間人であるとを問わず、軍事行動の開始を切望していた〜。

P106 〜昭和6年(1931)〜陸軍大臣は9月〜参謀本部作戦部長建川美次を満州に派遣して、関東軍の自重を求める〜。〜建川は到着後ただちに料亭「菊文」へ案内され、ここで酔いつぶれる程酒食の歓待を受けた。9月18日〜南満州鉄道で爆破事件が勃発〜関東軍は翌朝までに奉天占領を完了した。
 建川については、計画を知りながらこれに協力するため陸軍大臣の命令を伝達せずに一夜を無為に過ごしたとしばしばいわれる。

P118 吉林における不穏状態は〜大迫通貞が故意に造り出したもので〜吉林において不穏状勢を造り出し、更に派兵を要求するように命じたのは石原〜。

P130 米国は、満州事変勃発後の2、3週間は紛争の解決になんら積極的な役割を果たそうとはせず〜ソ連も〜終始慎重な態度を示した。

P154 満州事変に対する国内の世論は次第に好意的なものとなって行ったが、一方国際的には予期に反して戦線の拡大を警戒する声が高まり、錦州爆撃を契機に最高潮に達した〜。

P170 〜関東軍の板垣石原〜は、酒を飲むと必ず〜内地に帰ったらクーデターをやって、政党政治をぶっ毀して、天皇を中心とする所謂国家社会主義の国を建て、資本家三井、三菱の如きをぶっ倒して、富の平等の分配を行おう〜と公言している〜。

P178 〜海軍グループは井上日召に師事してついに血盟団事件、5・15事件へと突進し、陸軍グループは皇道派を形成して〜後は西田のもとに2・26事件を引き起こすに至った。

P218 11月21日の連盟理事会において〜調査団派遣の提案を自ら行うにあたって〜外務省は〜決議案から、日本軍の撤退に関し、いかなる期限の規定をも削除するように指示〜さらに〜「〜軍事行動ヲ〜禁止スルモノニアラズ」との一節を付加するよう打電した。日本代表は〜困惑した。何故なら〜撤兵の誓約こそ日本が連盟の激しい攻撃の矢おもてに立つのを防止したものであったからである。

P239 〜昭和7年(1932)1月27日、片倉は〜「満蒙問題善後処理要綱」を作成〜本要綱は〜「〜日本人ノ利益ヲ図ルヲ第一義トス」と明白に記し、しかも他の在満民族の福祉については全く触れていない。

P259 板垣の上京中〜「支那問題処理方針要綱」が立案されたが〜民族協和や社会平等といった理想主義的スローガンはどこにも反映されていない。

P269 満州事変下において国内に軍需景気が起ると、国民一般は〜批判は影をひそめ〜朝日新聞でさえも〜満州事変そのものは支持した〜。

P282 〜政府と軍部との対立は、5月15日犬養が暗殺されたことにより急転直下終結〜。〜特に犬養の暗殺が重大な意義を有した理由は〜白昼堂々公然として首相官邸に押入り、然も陸海軍将校等隊を組んで凶行に及びたりと言えば、暗殺というよりも一種の虐殺であり、虐殺というよりも革命の予備運動〜。

P303 〜昭和7年(1932)夏、諸外国の抵抗を知りつつあえて満州国承認にふみきった日本は、果して最終的に戦争を予期していたのか〜。

P322 日本が連盟脱退を決意したことは、満州進出を列国との協調関係を犠牲にしても成し遂げようとする考え方が最終的に勝利を収めたことを意味していた。〜注目すべきことは、連盟脱退が〜はげしく討議された結果採択されたような政策決定ではなかったことである。首相をはじめとする政府責任者、〜松岡洋右をはじめ、連盟の日本代表部、西園寺を中心とする宮中関係者〜彼らの日和見主義あるいは不決断、あるいは消極性が強硬論者に道を譲る結果となった〜。

P327 昭和6年(1931)から7年にかけて日本外交は〜伝統的に金科玉条として奉して来た〜大陸に対する膨張と列国との協調との間の均衡が失われた〜。

P332 満州事変の遺産の一つは、日本が列国の名目上の反対と実質上の反対との間に差があることを発見したこと〜それが日本の外交政策を冒険主義へと駆り立てた〜。

P334 〜大正末期から昭和にかけて(1920年代)満州に対する強硬政策を主張した人々〜のうちには、誰一人として黒船の脅威を経験した者はなかった。〜彼らが軍人として直面した中国はすでに敗北した国家であり、日本は二回の戦争に勝利を収めて大陸進出の途上にあった〜。

P337 民族協和思想と対照的なのは、「支那は組織ある国家にはあらず」という主張で〜中国の主権を理論的に否定したもの〜その根底に〜弱体化した中国に対する幻滅があったことは否定できない。

★★★☆

 冷静な筆致。このようなことを繰り返してはいけないと真剣に思う。 

 

 


(721) 『楊令伝(六)徂征の章』(著:北方謙三。集英社文庫)

P148 「なぜ、兵力に頼る」
 独り言も、六十を過ぎてからの癖である。
 どこかで、
楊令をこわがっていないか。それは、言葉にしたくない問いかけだった。

P165 〜公孫勝の口もとにまた冷笑が浮かんだので、思わず眼を伏せた。
「致死軍の兵が、捕えられて生き延びたか」
侯真が、かっとするのがわかった。
「なぜ、味方同士で殺し合わねばならなかったのか、俺は訊きたいのです」
「致死軍に、質問は許されていない〜」

P174 狄成は、酔うとこの世のあらゆることを悲しみ、泣きはじめる。地を這う虫を踏み潰してしまったというのも、泣く材料になるのだ。

★★

 嵐の前の中だるみ時期か?

  


 

 

 今月はけっこう書きましたが、それでも、まだまだ書評が大量に積み残し。



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