移動メニューにジャンプ

(No196)  京都国立博物館「宸翰 天皇の書 ~御手が織りなす至高の美~」 鑑賞記 
 
 宸翰(しんかん)とは天皇がしるした書。「宸」は天皇の住まい。また、天皇に関係する物事をさす。「翰」は文章や手紙など書いたもの。

 画像は、展覧会チラシ、博物館パンフなどから。

 



【宸翰の世界】

 展覧会の導入として、各時代において紡ぎ出された宸翰を紹介し、内容・種類そして「かたち」の豊富さをご覧いただきます。(これは各章の説明文。以下同じ)

  106 重美 「龍虎」「梅竹」大字 後陽成天皇宸翰
桃山時代(16~17世紀)
京都 法金剛院

 特に虎なんざ、尻尾が長い。画のような字。竹もまっすぐ伸びている。 


【三筆と三跡】

 天皇の書風に多大な影響を与えた三筆と三跡、なかでも空海・藤原佐理・藤原行成の書を中心に展示します。

3 国宝 灌頂歴名 空海筆
平安時代 9世紀
京都国立博物館

 独草体という書体らしい。続けず独立した草書体。書き損じか、塗りつぶして消している箇所多し。

  4 屏風土代 小野道風 筆
平安時代 延長6年(928)
宮内庁三の丸尚蔵館

 巻末に「道風手」とある。この書を買得した藤原定信が、小野道風のものですよ!と鑑定し書き込んだようだ。

  5 国宝 詩懐紙
藤原佐里 筆
平安時代 安和2年(969)
香川県立ミュージアム

  6 国宝 白氏詩巻 藤原行成筆
平安時代 寛仁2年(1018)
東京国立博物館 



  7 国宝 書巻(本能寺切) 藤原行政成 筆
平安時代(11世紀)
京都 本能寺


【唐風と和様─宸翰様への道─】

 わが国における宸翰のはじまりである聖武天皇から後嵯峨天皇の書をたどり、次世代にどのようにつながるのか考えます。

9 国宝 聖武天皇宸翰御画勅書

 巻末に何人かの人名(署名)あり。諸兄とある。「え?橘諸兄の直筆なのか?」と思った。

  12 国宝 嵯峨天皇宸翰光定戒牒
平安時代 弘仁14年(823)
滋賀 延暦寺

   同上

 縦簾紙という縦に簾目のある特殊な紙に書かれているようだ。


13 嵯峨天皇宸翰光定戒牒写 近衛家凞筆
江戸時代 元禄15年(1702)
陽明文庫

 12の双鉤本。

  16 国宝 文覚四十五箇条起請文 奥書後白河天皇宸翰
平安時代 元暦2年(1185)
京都 神護寺


  17 国宝 高倉宸翰消息及び守覚法親王消息
平安時代 治承2年(1178)
京都 仁和寺

   同上

 作品解説に「肥痩に富んだ筆線」とあった。確かに太いところと細いところ(それに伴って墨の量も変化するからだろうが)濃淡も変化に富んでいる。


  20 国宝 後鳥羽天皇宸翰御手印置文
鎌倉時代 暦仁2年(1239)
大阪 水無瀬神宮

   同上

 指を拡げた朱手印が二つ押されていて、正直言って、何か怖ろしい感じ。本書完成の13日後に流刑先の隠岐で崩御されたので絶筆といえる。


22 国宝 後嵯峨天皇宸翰消息
鎌倉時代 寛元4年(1246)
京都 仁和寺

 現存する唯一の遺墨とのこと。



【きらめく個性─宸翰様の展開I─】

 皇統が持明院統と大覚寺統という二つの系統にわかれ、それぞれが独自な書風をみせた後深草天皇から花園天皇の書を追いかけます。

  23 重文 後深草天皇宸翰消息
鎌倉時代 正応3年(1290)
京都国立博物館

  25 国宝 亀山天皇宸翰願文
鎌倉時代 永仁7年(1299)
京都 南禅寺

  同上


31 国宝 後宇多天皇宸翰御手印遺告
鎌倉時代 14世紀
京都 大覚寺

 冒頭部分に二つ、朱手印が押してあった。


  32 重文 後二条天皇宸翰消息
鎌倉時代 14世紀
京都国立博物館(守屋コレクション)

36 重文 後伏見天皇宸翰願文
鎌倉時代 元弘元年(1331)
京都 鳩居堂

 持明院統と大覚寺統との争いの中で、何とか皇位を子に継がせようとする持明院統総帥の強い思いが文章に現れているようなのだが、読めないのでよく内容は分からない。

  40 重文 花園天皇宸翰消息
鎌倉時代 元弘元年(1331)
京都国立博物館



  45 重文 花園天皇宸翰置文
南北朝時代 貞和3年(1347)
京都 妙心寺

 病床から妙心寺開山慧玄にあてた書のようだ。巻末に開山上人とある。


【書聖・伏見天皇】

 能書ぞろいの天皇のなかでも藤原行成にも勝ると絶賛され、いまでも人気のたかい伏見天皇の書を心ゆくまでご堪能ください。



  46 重文 後撰和歌集巻第二十 伏見天皇宸翰
鎌倉時代 永仁2年(1294)
大阪 誉田八幡宮

  同上


  49 重文 伏見天皇宸翰願文 
鎌倉時代 正和2年(1313)
京都国立博物館(守屋コレクション)

  同上

  同上



  56 屏風土代臨模 伏見天皇宸翰
鎌倉時代(14世紀)
宮内庁

 上が伏見天皇の書。下が手本の小野道風の書(4)。書き誤りまで模写している。


【個性の継承─宸翰様の展開II─】

 前代からの独自性を受けつぎながら、次第に安定をみせた後醍醐天皇から正親町(おおぎまち)天皇の書をご覧いただきます。

  57 重文 後醍醐天皇宸翰消息
鎌倉時代 元徳元年(1329)
京都国立博物館

59 重文 後醍醐天皇宸翰置文
鎌倉時代 元弘3年(1333)
国立歴史民俗博物館

 作品解説によると空海が請来した仏舎利の分与を制限せよという内容らしい。

  60 国宝 後醍醐天皇宸翰天長印信
南北朝時代 延元4年(1339)
京都 醍醐寺

  同上

 本書の1月後、崩御。空海の書を写したもの。


83 重文 融通念仏縁起巻上 詞書後小松天皇宸翰
室町時代 応永24年(1417)
京都 清涼寺

 良忍の伝記に関する書。


  84 後小松天皇宸翰消息
室町時代 応永27年(1420)
京都 妙法院


88 重美 着倒和歌断簡 中に御土御門天皇宸翰あり
室町時代 文明12年(1480)
京都国立博物館

 「着倒和歌」とは、予め人数や場所等を定め、事前に決めておいた題に従い一首ずつ詠む形式のことらしい。


91 重文 無関普門像 賛後柏原天皇宸翰
室町時代 文亀元年(1501)
京都 南禅寺

 無関普門は南禅寺の開山。書ばっかりなので、画があると嬉しい。


  99 重文 金剛般若経 後奈良天皇宸翰
室町時代 天文16年(1547)
京都 正受院

  同上


101 重文 正新町天皇宸翰消息
桃山時代 天正2年(1574)

 「蘭奢待」という文字は読めた。文中の「ふりょに」でいわば宝物の香木を強奪された無念さがにじみ出ているとのことだが、読めなかった。



【模索と胎動─第二の宸翰様へ─】

 従前のカラをうち破り、来るべき時代への橋渡しとなった後陽成天皇から後西天皇の書を展示します。


  103 重文 後陽成天皇宸翰消息
桃山時代 文禄元年(1592)
京都国立博物館(守屋コレクション)

  同上

  同上

 文末に「大閤とのへ」とある。太閤秀吉の朝鮮出兵を諌めるもの。


  109 後水尾天皇宸翰覚書
江戸時代 承応3年(1654)
京都国立博物館

 酒井忠睦にあてた書とのこと。


113 重美 古詩色紙 後光明天皇宸翰
江戸時代(17世紀)

 王昌齢の漢詩を書写したもの。後光明天皇は和歌や源氏物語などを嫌い、父の後水尾天皇から「和歌第一」とたしなめられたそうだ。



【新時代の幕開け─第二の宸翰様─】

 新たな書風を確立し、それぞれの個性が再び顕著にあらわれる霊元天皇から昭和天皇の書をたどります。


124 中御門天皇宸翰諡号勅書
江戸時代 享保11年(1726)
京都 泉涌寺

 泉涌寺開山俊芿の500年遠忌に「大円覚心照」の国師号と卵塔(墓)に「海印」の銘を賜ったもの。


  126 重美 桜町天皇宸翰和歌懐紙
江戸時代 享保16年(1731)
陽明文庫

 桜町天皇12歳時の書。


  127 重美 桜町天皇宸翰和歌懐紙
江戸時代 享保20年(1735)
陽明文庫

 桜町天皇16歳時の書。上掲の書に比べると、ずいぶんスッキリと成長した感じ。


129 重文 桃園天皇宸翰諡号勅書
江戸時代 宝暦6年(1756)
京都 妙心寺

 妙心寺の開山である関山慧玄の400年遠忌に「光徳勝妙国師」を賜ったもの。


  131 重文 後桜町天皇宸翰短籍
江戸時代 明和4年(1767)
兵庫 柿本神社

   同上


  143 一行書「仁智明達」 大正天皇宸翰
明治時代(19~20世紀)
大阪青山歴史文学博物館

   同上


 お疲れさまでした。 
 
  

inserted by FC2 system

inserted by FC2 system